ロンパールーム



ロンパールームとは?(Romper Room)
子供が着用した、つなぎ服、「ロンパース」が番組名の由来。
1950年代にアメリカで始められた幼児向けのテレビ番組です。メリー
ランド州、ボルチモア市のローカルテレビ局でナンシー・クラスターと
いう女性が創案したプログラムは愉しいゲームやおやつの時間、絵
本の時間が人気を集め、テレビ版幼稚園としてあっという間に全米、
および世界各国に広がり人気をはくしました。番組のキャラクター
Do bee(にこちゃん)、Don't bee(困ったちゃん)は世界中の子供た
ちに愛され、日本でもにこちゃん人形が飛ぶように売れました。

初代みどり先生に選ばれた私。
1963年、ロンパールームが日本でも放映されることになり,先生役の
オーディションが行われました。日本テレビの募集広告は「英語が
出来て子供好きの人」でした。
何気なく応募したら、オーディションに呼ばれ、面接、カメラテストなど
の後、「合格です」といわれ「まさか私が」とびっくりしてしまいました
500人ほどの応募者があったと知らされ2度びっくり。「カメラの前で
6人の子供たちと自由に遊んでください」といわれ、ただ自然
体で愉しく遊んだだけでした。

世界中にロンパールームのコネクションが。
日本で番組がスタートする前
に本場アメリカのニューヨー
クで研修をうけました。その
とき緒に研修を受けた
アメリカテネシー州のバーバ
ラ先生、オーストラリアのパ
トリシァ先生、アイルランドの
スーザン先生など世界中に
ロンパールーム仲間がで
きました

魔法の鏡

「鏡よ鏡よ鏡さん。皆に会わせてくださいな。そーっと
会わせてくださいな。」魔法の鏡を通して、テレビを見
ている皆さんのお名前を呼び、お話する。そのコーナー
には「名前を呼んでください」という葉書が毎日山のよう
届きました。出来るだけ多くのお名前を呼んであげた
いとカメラの脇でADさんに名前をぎっしり書いたながー
いカードを持ってもらいました。時間切れで名前を呼んで
げられなかったお子様がテレビの前でがっくりきて
いるよくお手紙をもらいました。

ロンパールーム秘話
*  みどり先生はミルク嫌いだった。
おやつの時間にいつも先生も子供たちも一緒にミルクを飲みまし
た。テレビの前でも子供たちがみんなミルクを一緒に飲んでいたの
ですね。「おかげでミルクが大好きになりました」というお便りを
よくいただきました。 実はみどり先生はミルクが飲めない人でし
た。ディレクターにお願いしていつもオレンジジュースをカップに
いれてもらっていました。
ある日、一人の子供が「先生のミルクはどうしてオレンジ色をして
いるの?」と大きな声で聞きました。「あああ…・・、スタジオの
ライト熱くてポーッとなっちゃったのかな・・」「・…」なんて。子供には
ごまかしてはいけませんね。
* 「にこちゃん」「困ったちゃん」は一晩中考えて決めた。
ロンパールームのアイドルが蜂のキャラクターだったのはアメリカ
らしい英語の遊びがありました。約束を守る良い蜂ちゃんは
Do Bee(お約束のBe a smiley childなどの「ビー」の音をかけ
いる)、Don't Beeはお約束を守らない悪い蜂ちゃん。それを日本語
に訳すのは大変。英語の音は全く無視してDo Beeをにこちゃん、
Don't Beeをこまったちゃんとすることにしました。一晩中考えて
決めました。
* うつみ宮土理さんを選んだのは私。
夫の海外転勤でロンドンに行くことが突然決まりました。ロンパー
ルームには心から入れ込んでいたので名残はつきませんでした。
でも後任を選ばねばなりません。公募で集まった800人近い応募者
者からオーディションで選ばれたのが2代目のみどり先生うつみ宮
土理さんです。本当はうつみさんは始めの書類選考でははずされ
ていました。けれど、これぞという人が見つからずもう一度審査を
やり直すことになり、その時、私は「この人を先生に」と1枚の写真
を選びました。なにか、彼女は可能性を秘めた人、きっとロンパー
ルームを成功させてくれる人と強く感じました。彼女はロンパー
ムをやめてからも大活躍。私の目に狂いはなかった。

*ロンパールームは6代
みどり先生が引き継いだ。
ロンパールームは20年近く
続きました。まさかあんな
長寿番組になるとは思っても
いませんでした。
アメリカ発の幼児番組は少しずつ形を変えて日本の番組として根
付いていったのです。番組とのタイアップで作成されたグッズの多く
に初代先生の名前「みどり」となりました。6代のみどり先生が子供
たちの夢をないでいったのです。ありがとう。ご苦労様。




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