並木: 真理さんは疎開先から東京に戻ってきて、その後、東京で学校を選ぶときに将来はファッションとか映画の世界に入りたいという希望があったんですか。
芳村: いいえ、全然。つまり、そのころは、日本中が明日を生きていくことだけで大変な時代だったわけですから、受験戦争なんていうものもないし、親がそんなことにほとんどかまっている暇がない。それから、親戚と一緒に暮らすとか、例えば年老いたおじいちゃん、おばあちゃんと一緒というのはあったりまえの話で、その状況では食べていくことが大変で、学校とか何とかというのはほんとうに問題外で、とにかく公立の近い学校に行くしかないんですよ。私は、中学1年生の半ばで帰ってきたんですけど、近くの高校の校舎の体育館を仕切って、そこで一緒に勉強しましたよ。学校がまだできていなかったみたい、壊れちゃっていて。
並木: そうですよね、二部制とか三部制の授業とかいっぱいあったものね、午前中だけで帰ってきたり。
芳村: ですから、兄弟の学校のことは兄弟が決めていましたね、あのころは。
並木: そういうことがありましたよね、お兄ちゃんの意見が強力だったり。 親も、子どもたちは自分たちである程度決めていきなさいというような?
芳村: 貧しかったサラリーマンですから、とってもじゃないけど、あなたたちをそんなにいいところに入れてあげられないから、あなたたちが自分たちで決めて、良いと思ったことをしなさいというのが精いっぱいだったのかなと思うんだけれども、親ものんびりしていたというか。
並木: それで真理さんはどのような高校を
芳村: 私は都立西高校に入学したの。そこはもともと男子校でそれにすごい受験校だったんですよ。当時は日比谷高校、西高校の順で東大に入った。
並木: 真理さん、学校では、すごーくもてたでしょ。
芳村: ちょっとね。数からいって男の子が多いから。
並木: おしゃれだったんでしょうね、真理さん。
芳村: 母が結構モダンだったのでシックな好みでしたね。私は子どものときから、母が着せてくれる洋服なんかはすごく得意だったの。子ども服なのに地味なんですよ、グレー系とか。だけど、絶対におしゃれだった。
並木: かなり大人っぽい趣味ですね。
芳村: 多分そうだと思いますよ。明治生まれの両親が、大正時代にモガ、モボという時代を抜けてきているんで…
。あの時代のおばあちゃん、おじいちゃんたちっておしゃれでしょ。だから、やっぱりその影響は受けていたかもしれない。
並木: でも進学校とファッションというのはちょっと結びつかないですね。
芳村: 3年生の進路指導のときにね、大学はどうしようかということになったわけ。 だれも相談に乗ってくれないんですよ。兄は受験に失敗したものだから、夢中で勉強していましたし
…。みんなと一緒に受験勉強してどこかを受験しなさいって学校でいわれたときに、私のほうから、「先生、私、受験しないで社会に出ちゃいます、先に。勉強は後からでもできるからいい」っていっちゃったの。
並木: 自分のやりたいことがちゃんとおありだったのね。
芳村: 先生は両親の意見を聞きなさいというので、急いで家に帰って、父と母に、こういうわけで、「私だけは受験しない。早く社会に出てお家を助けるし、私も一人で働きたい。先生に連絡するから、そういうふうに手紙に書いておいて」っていったら、「娘がそのように申しておりますので」みたいに母が数行何か書いた。それを次の日に持って行って、「そうか、じゃあいいだろう」ということになったんです。